【キサラギ】(主演:小栗旬)

【予告編】

 

この【キサラギ】は、ジャンルとしては一応サスペンス映画?かと思いますが、

登場人物のキャラクターとか、映像の作りとかによって、

かなりポップなコメディよりの雰囲気で進んでいきます。

 

見終わった後は、結果的に明確な証拠の元、明確な答えが出たって訳ではないんですが、

割とすっきりとした気分で、登場人物達が出した結論を納得することが出来ます。

 

ただエンドロールが終わった後、いきなり新キャラが現れて、

針金を取り出すと、本編中で彼らが出した結論を覆すような事を言い出します。

 

このシーンがあった事から、

 

「真犯人は別にいる!」

 

そんな意見が色々と囁かれていたりもします。

 

と言う事でココでは、そのラストシーンに出てきた『針金』真犯人がいるのかについての、

僕なりの意見を解説しようかと思います。

 

> 【キサラギ】あらすじはコチラから

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【キサラギ】ラストの解釈の仕方の前提

ラストシーンに意味深なシーンを持ってくる映画は、

サスペンスとか、脚本を練りまくって伏線を張り巡らすような映画には結構あります。

 

とは言え、この【キサラギ】は、洋画ではちょいちょいあるような、

 

『解釈の仕方は映画を見た皆様次第です』

 

的な映画とは少し違うかなぁと思っているのが、僕の前提です。

 

そう言う映画はやっぱり、何らかのメッセージ性の元色々な伏線を組み込んで、

解釈の仕方によって、その伏線の時にどんな感情だったかって部分とかを

より映画を楽しめるように、ラストに複数の解釈が出来るシーンを持ってくると僕は思っています。

 

例えば個人的に好きな映画で言うと、【インセプション】とか。

> 【インセプション】あらすじはコチラから

 

 

実は明確な答えがあるけど、ミスリードの為にわざと怪しいシーンを入れたり、

ただ惑わせたいだけって作り方をしたりすると、

基本的にはその映画の登場人物にはなかなか感情移入は出来なくなりますからね。

 

まぁ【キサラギ】はどちらかと言うと、登場人物に感情移入するってタイプの映画と言うよりは、

コントに近いような、話のテンポと展開で楽しませて引き込んでいくような映画かと思います。

 

とは言えやっぱり、登場人物たちを見た映画の視聴者が、

そのキャラクターを一人の人間として認知できないと確実につまらなくなるのは同じです。

「こう言う人いるわ~」

ってキャラをデフォルメしてオーバーにしているからこそ、面白い訳です。

 

 

若干横道にそれましたが、前提として【キサラギ】は、ラストシーンの解釈次第で、

映画内の登場人物に対する感情が見えてくるような映画としては僕は見ていない。

(少なくとも僕が作るならそうは作らない)

 

それならきっと、立派な映画監督さんがそんなことはしないでしょう。

つまり、ラストシーンに何らかの意味があったとしても、

それは結構単純な理由だったんじゃないかってのが、僕なりの意見です。

 

【キサラギ】真犯人は別にいる?

ここまでの前提の上で、真犯人が実は別にいるって意見が出る理由としては、

当然初めにも話したように、エンドロールの終わりに新キャラ(宍戸錠)が現れて、

針金を取り出して、真犯人がいるって事を匂わせるような事を言うからですよね。

 

元々の映画本編では、如月ミキは結局事故で亡くなって、

その逃げ遅れた原因は、家元が送り続けていた大量のファンレターを取りに行っていたからだった。

そう言う結論に至って終わりました。

 

ただ、この結論には別に明確な根拠がある訳でもなく

色々と推測を立てては否定され続けてきた結果、5人が納得する形の結論として至った訳です。

 

だからこそ、このラストシーンをみて、

 

「実は真犯人がいるのか!」

 

って推測を立てたくなってしまう訳です。

もっと言えば、この【キサラギ】の小説版では、この宍戸錠が出てきた後も描かれているようです。

 

基本的には、小説版と映画版を同じ話だとみても仕方ないって事は誰もが分かってると思いますが、

この後の話が実際にあるからこそ、そう推測したくなるってのも要因の一つでしょう。

 

が、僕なりの結論としては、

 

『この映画の真犯人はいない』

 

ってのが、僕なりの納得した答え。

それはさっきの前提の部分でも述べたように、

この映画はそう言う部分を深読みして楽しむ映画ではないってのが僕の意見だから。

 

あくまで、それぞれのキャラクターと、会話のテンポと展開で引き込む映画だから、

そんな変に無駄な要素を入れるべきではない。

(実際、この最後のシーンのせいで映画のテンポが最後に崩れたって意見もありますしね)

 

 

ただ、例えば【キサラギ】に続編が出来て、更に1年後の宍戸錠が出て来たシーンから始まったら、

またこの答えも変わると思います。

 

そうなればこの答えはもはや、【キサラギ】って映画の答えではなくて、

【キサラギ】【キサラギ2】での答えになりますからね。

もしかしたら【キサラギ2】では、この映画を壮大な前振りにして、

全然違ったテイストにしてくるかもしれません。(笑)

(若干屁理屈みたいに聞こえるかもしれませんが(笑))

 

でもあくまで、この【キサラギ】って映画を1つの映画として見た時、

真犯人はいない。この答えで僕は良いと思っています。

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【キサラギ】何故ラストシーンで針金&宍戸錠を出したか

ここまでの僕の意見で言えば、そもそもこんなラストシーンにする必要はありませんよね。

それでもあえて、エンドロールにこのシーンを入れた理由としては、

実はちょっと試写会で監督自身が、

 

「しんみり終わるのもだったので、続編があるかも?的なノリで付けちゃいました」

 

みたいな事を言っていたとか。(笑)

まぁこれがどこまで本気かは分からないですけどね。

もし、実際はかなり意味深な理由があったとしても、

言いたくなかったり、諸々の諸事情で行けなかったのかもしれませんし。

 

 

ちなみに、脚本家の方もこんな感じのコメントも残してたみたいです。

 

『頭の中には、二周忌の全容は浮かんでいますが、

 どう考えても、二周忌の模様が一周忌よりつまんないから、ないです。』

 

なんて事も。

 

って感じで、『続編を意識して期待感を持たせるため』にラストシーンを入れたモノの、

一作目は越えられないだろうって感じの大人の事情で、実現はし無さそう。

 

つまりラストのシーンは、

 

『(続編を意識して)本編で出た結論を覆すために入れた』

 

ってだけの、正に前提の部分で述べたように、結構単純な理由だった。

これが僕なりの、ラストシーンに対しての解釈です。

 

もっと言うと、本編中でも回想シーンなどは、あえて安っぽい感じと言うか、

ふざけた感じで作られたりしてます。

そう言う世界観で作ってきたからこそ、最後の最後にもふざけ半分で、

『サスペンス映画っぽくしてみました!』的なシーンを入れた。

僕が初見で感じたのはこれでしたね。

 

【キサラギ】ラストシーンを真犯人説として考えるとしたら?

と、一応ここまでで映画【キサラギ】のラストシーンに対しての僕なりの解釈は述べてきました。

ただ、監督がラストに続編を意識して入れただけだとしても、

 

  • このラストシーンから、どういう続編に繋がって行くのか。
  • その続編では、5人の誰かを犯人とするのか。
  • もし犯人がいるとしたら、それを示唆する部分をこの【キサラギ】に入れていたか。

 

そう言う部分を考えたくなっちゃう気持ちも分からなくはありません。

と言うか、僕自身そうやって深読みするのも嫌いじゃないです。(笑)

 

 

と言う事でココからは『本編中の結論が間違いだったら誰が犯人か!』って部分について、

ココまでで話した前提条件は取っ払っていきます。

 

逆に前提として、『この事件は事故ではない』って事で、

僕なりの考えられる解釈と、色々と挙げられる意見についての僕なりの解釈です。

 

と思いましたが、ちょっとかなり長くなってしまうので、

それは以下の記事からどうぞ!

 

> 【キサラギ】真犯人説!家元・スネーク・宍戸?小説と相違点!

 

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