【ファイトクラブ】(主演:エドワード・ノートン ブラット・ピット)

【予告編】

 

この【ファイトクラブ】は、見た事がなくても聞いた事はある人は相当いるであろう傑作映画。

 

一部、表面的な部分だけを見てダークなイメージから批判的な意見を言う人もいますが、

個人的には、何か他の映画と比べるって事が出来ないような、

特殊な分類であり、特別な映画の一つ。

 

見終わった後に、何か感動するとかって訳ではないが、

何とも言えない感情が湧いてくる作品。

 

勿論、『どんでん返し』と言う意味でも初めて見る人からすれば面白いが、

それを知った上で二回目を見てもまた面白い。

そんな色々な仕掛けも施されていたりもします。

 

中でも一番印象に残るのがやっぱりラストシーン。

 

主人公と、マーラが手を繋いで崩壊していくビルを眺める。

ある意味この【ファイトクラブ】の中で、唯一とも言える幸せを感じられるシーン。

 

そして画面が大きく乱れて映画は終わる。

(一瞬最後にあのサブリミナルが入るのも有名です(笑))

 

 

ただこのラストシーン、結局彼らがどうなったのか

そして、タイラーはどうなったのか

 

それに答えが出ずに合わっている事もアリ、その解釈はそれぞれに委ねられている。

その為、色々な意見があるが、僕なりのラストシーンの意味と解釈について解説していきます。

 

勿論、絶対的な正解ってのがある訳でもないので、感じ方は人それぞれで良いと思います。

なので、映画を見てモヤモヤしている場合の1つの参考にしてみて下さい。

 

> 【ファイトクラブ】あらすじはコチラから

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【ファイトクラブ】ラストシーンでタイラーは?

まず挙げられる疑問として、『タイラーは倒していなくなったのか?』って事。

 

ラストシーンの前、タイラーは主人公に銃口を向けるが、

「タイラーが銃を持っている」=「自分が銃を持っている」と言う事に気づき、

自分で自分を銃で撃ちます。

 

そして、タイラーは消える訳です。

 

ここで考え無きゃいけないのが『タイラーが消えたとは?』って事。

こう言うと分かりにくいかもしれませんが、

タイラーは、主人公が自分にない物を持っている理想とする人物像でもあったはずです。

 

そのタイラーを消えたって事が、

その理想を『排除した』のか『乗り越えた・統合した』のか。

こう言えばまぁ分かるとは思いますが、理想を結局排除したって事になったら、

また窮屈な自分に逆戻りするだけですから、

当然、『乗り越えた・統合した』って考えるのが自然です。

 

ちょっと言い換えると、今までずっと窮屈な人生を歩んでいた主人公が、

タイラーと言う存在を作り出すことを切欠に、痛みを知る事で生きている事を実感し、

主人公自身も、自分に自信を付けてなりたい自分に近付いていった訳です。

 

でもそのタガが外れ、外側に向かって攻撃的になって行ったことで暴走した、

ある意味自信過剰になって調子に乗った様な状態だったタイラー(自分自身)を制した。

 

まぁ一番簡単な言い方をすれば、『成長』したって捉えられます。

 

その後のマーラに対しての主人公の言葉は、タイラーの物とも、今までの主人公の物とも違う、

自信を持った言葉に聞こえます。

(こう言う微妙な違いがエドワード・ノートンの凄い所。)

 

今までの主人公が持っていた優しい部分と、タイラーが持っていた力強い部分が、

1つになった様な表情です。

 

 

実際、主人公が自分の顎を撃った時、タイラーは口から煙を出して消えて行きます。

そしてその後、主人公の口からも同様の煙が出ます。

 

これもタイラーが『排除』されて消えたのではなく、

1つの存在になったって描写とも取れますよね。

 

 

つまり主人公はこのラストシーンで、タイラーと言う理想とする存在を乗り越え『成長』し、

消えたというよりも、主人公と1つの存在になったってのが僕の解釈。

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【ファイトクラブ】マーラは?

そしてラストシーンで、主人公とマーラは手を繋いで崩れるビル群を眺める訳ですが。

 

この後どうなったかは描かれていませんが、

特に深読みせずに、この状態からは助からなかったって考えるのが自然でしょう。

 

このラストシーンで、初めて二人は心が通じ合ったわけです。

 

そもそも初めは主人公はマーラの事が嫌いだったはずです。

その時のマーラの存在は、どこか精神的な部分で共通している部分もあり、

(二人とも病気じゃないのにグループに参加していた事も含め)

タイラーが理想とする自分の人物像であったのに対して、

その真逆の存在として、ある意味自分自身の嫌いな部分投影されていたとも見れます。

 

だからこそマーラを見ると、自分自信の醜い部分を見ているようで嫌だったわけです。

 

 

しかし、タイラーと共に過ごすに連れてマーラにも感情を持つようになり、

最後ラストシーンで二人は理解しあって結ばれる訳です。

 

つまりこれは、主人公が自分自身の醜い部分を受け入れて、

それも含めて愛していけるような『成長』をしたって事じゃないでしょうか。

 

 

つまり、タイラーを倒す事とマーラと結ばれる事は、

自分を乗り越えて成長した主人公と、醜い部分を理解して成長した主人公。

 

このラストシーンは、それを描いたものではないかというのが僕の解釈です。

 

 

そして、結局二人は崩れるビル群の中では助からないでしょう。

 

これはやっぱり、この【ファイトクラブ】では『痛み』を知った事で『生』を実感したように、

自分自身の『生』を輝かせるために、その最大級の真逆の結末を描いたんではないでしょうか。

 

 

今回の記事の内容は、あくまで僕の解釈です。

ただこの【ファイトクラブ】は、表面だけ見れば、

ただの良く分からないダークな映画として捉えられますが、

監督はもはや名監督の1人のデヴィット・フィンチャーですからね。

 

名前の無い主人公に感情移入して見てみると、こんな見方も出来るって1つの参考にしてください。

(単純に僕が、デヴィット・フィンチャー監督が好きなだけって事もありますが(笑))

 

もし、まだ見ていないって人は、一度は見て考えてみる事をおススメします!

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