【バタフライ・エフェクト】(主演:アシュトン・カッチャー)
【予告編】
【バタフライ・エフェクト】は、作り込まれた脚本が有名な映画でもありますよね。
ただこの映画は、当初制作されていたエンディングが、あまりにも主人公に救いが無さ過ぎたからか、
実際日本で劇場公開された時とは違うエンディングがあったとされています。
そのせいで、ストーリーに少し『矛盾』が生じてしまったとの事。
正直、僕自身初めてこの映画を見た時は、特に矛盾を感じるほどの違和感はありませんでした。
が、確かに細かく見てみると、
「矛盾しているとも言えなくも無いか……」
って点は確かにありました。
だけどこれって結構捉え方の問題な気もします。
って事で、その『矛盾点』について僕なりの考察です。
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【バタフライ・エフェクト】エンディング結末の矛盾点とは?
【バタフライ・エフェクト】は、いわゆるタイムリープものの映画で、
主人公のエヴァンは、過去に戻って未来を書き換えるって作品なので、
こう言う作品は、どうしても細かく見ると疑問点とか矛盾点などは出てきてしまいます。
過去に戻って、その過去を変える度に新しい未来が作られて、
パラレルワールドが多数存在する事になり、エヴァンはその全ての記憶を持っている事になります。
その上更に、変わった未来からまた過去に戻って、また未来を書き換えて、
そう言う事を繰り返しているとやっぱり、
『過去を変えたのに、何故そこの未来は変わってないのか』
『変わり方が都合がよすぎる』
なんて部分は、人によっては出てきてしまうのもある意味仕方ないと言えば仕方ない事。
まぁ個人的にはそう言う部分も考慮しても、抜群に面白い作品で、
まずは1回見てみるべき!って自信を持って言える作品です。
とは言え、1回気になってしまうと、集中して見れなくなるのも事実。
と言う事で、僕が見た中で、確かにそう思えなくはないって矛盾点をまずは挙げてみます。
※以下、ネタバレを含みますので注意してください!
① 劇場版のラストシーン・ケイリーと出会ったシーンに戻る
劇場版の一般的なラストシーンではエヴァンは、
精神が病んでいると判断されて、精神病棟に入院している。
日記のありかを問いただすが、医師には
「日記などない。ケイリーへの罪から逃れるために、君が創造したものだ」
などと言われる。
そこでエヴァンは、子供の時の8mmフィルムを母親に持ってきてもらい、
「もし誰かがこれをみつけたら失敗した証拠だ。僕はこの世にはいない。
もしあの最初のときに戻れたら、僕は彼女をすくえるだろう」
そうメモに書き残して、8mmフィルムから少年時代のケイリーに初めて会った時に戻る。
過去に戻ったエヴァンは、初めて会うケイリーに対して、
「僕に近づくな」
そう言ってケイリーを退け、ケイリーと仲良くなる事実を消した。
そして、エンディングへ……
ここが1つ目に挙げられるところです。
そもそもこの【バタフライ・エフェクト】は、エヴァンが少年時代に、記憶を喪失している所に、
戻る事が出来るという設定のはず。
それならこの、ケイリーと初めて出会う場面も記憶を失っていたのでは??
が、記憶を失っていたのであれば、
そもそも何故この時に8mmフィルムで撮っていた事をエヴァンは覚えているのか。
そして、この時の記憶がないのであれば、
エヴァンがケイリーに想いを寄せる根源すら無いはずでは??
って矛盾点ですね。
僕なりの見解については後程。
② このエンディングでは根本的な解決になっていないのでは?
実は、一般的なエンディングのほかにあるディレクターズカット版のエンディングがあります。
そのエンディングが、元々監督が見せたかったエンディングなようですが、
簡単言えば、『大人の事情』でエンディングが変更されたようです。(笑)
元々のエンディングは、
「あまりにもエヴァンに救いが無さ過ぎる……」
との事。
で、そのせいか、先ほどもお話しましたが、
「もし誰かがこれをみつけたら失敗した証拠だ。僕はこの世にはいない。
もしあの最初のときに戻れたら、僕は彼女をすくえるだろう」
と最後に書き残したメモについての矛盾点が挙げられます。
実はディレクターズカット版のエンディングでは、エヴァンは最後、
母親の胎内にいる時にまで戻り、そして自らのへその緒を首に巻いて、
生まれる事自体をなくしてしまう。
自分が生まれる事自体を消すことで、自分が影響して起こる不幸も全てなくしてしまうという選択。
つまり、文字通り『この世に存在する』って事実を消すって事。
そうなれば当然、このメモを書く人自身が存在しないので、メモの存在もなくなる。
と言う意味でこのメモを書き残したわけです。
ただ通常のエンディングでは、ケイリーと子供の頃に出会う事は拒否したが、
これまで、幾ら過去を変えても変わらない未来もあったように、
それだけではエヴェンとケイリーが出会う可能性を消滅させたことにはならないのでは??
その可能性を完全に無くして、ケイリーの幸せを願うのであれば、
ディレクターズカット版のエンディングの方が理にかなっているのではないか??
という矛盾点。
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【バタフライ・エフェクト】矛盾点への独断の解説
正直、僕はどちらもそこまで気になりませんでした。
エンディングも、劇場版のエンディングが個人的にも一番好きでしたし。
ディレクターズカット版も僕は割と好きですが、一般的にはホント救いが無さ過ぎて、
受け入れられない可能性も高いですしね。
① ケイリーと出会ったシーンについて
確かに、ケイリーと初めて出会う場面も記憶を失っていたのでは??
記憶を失っていたのであれば、
そもそも何故この時に8mmフィルムで撮っていた事をエヴァンは覚えているのか。
エヴァンがケイリーに想いを寄せる根源すら無いはずでは??
そう言う意見も分からない訳ではありません。
が、例え記憶を失っていたとしても、このビデオの存在を知る切欠は幾らでもあります。
その後母親に見せられたかもしれないし、そのビデオの話を聞いたのかもしれないし。
日記だって、大学生になるまでに読んでいた可能性もありますが、
それまでは過去に戻る経験はしてなかった訳です。
それなら普通にこの時のビデオを見ていたって何の不思議もありませんよね。
そして、この時に記憶が無かったとしても、
家が近所なんだから、その後ケイリー出会う機会は幾らでもありますよね。
よってこれらについては、偏った固い見方をしちゃえば『矛盾』だと捉えられなくもないですが、
解釈の仕方は幾らでもあると僕は思います。
② このエンディングでは根本的な解決になっていないのでは?
「もし誰かがこれをみつけたら失敗した証拠だ。僕はこの世にはいない。
もしあの最初のときに戻れたら、僕は彼女をすくえるだろう」
このメモは、自分の生まれてくる事実を消す事を示唆している。
子供の時の1場面を変えたくらいじゃ、出会う可能性は消えない。
確かに、そう考えるのはしっくりくる意見です。
だけど、初めてケイリーに合ったあの場面を強烈に拒否されるように変えた事で、
あの後もケイリーはエヴァンに近づかなくなるでしょう。
そうなれば少なくとも、自分の影響で起こる不幸は起こらなくなるわけです。
エヴァンが精神病棟に入れられていたのは、過去に戻る事を繰り返したせいで、
頭がおかしくなったと判断されるようになってる訳ですよね。
それならば、ケイリーに拒絶される過去を作った上で、
もう過去に戻る事をしなければ、
頭がおかしくなったと判断されて、精神病棟に入れられるって未来も無くなる訳です。
そうなれば当然、このメモを書く人間もいなくなるので、
『精神病棟に入院しているエヴァン』って存在はいないとも言えますよね。
実際、その後エヴァンは荷物を燃やしています。
もう過去に戻る事はしないと決意した訳です。
そう考えれば、通常の劇場版のエンディングでも、
「もし誰かがこれをみつけたら失敗した証拠だ。僕はこの世にはいない。
もしあの最初のときに戻れたら、僕は彼女をすくえるだろう」
について、『最初のとき』がケイリーと初めて出会った最初か自分の生まれる最初かの違いだけで、
ケイリーに自分の影響を及ぼさないって意味ではOKだと僕は思います。
【バタフライ・エフェクト】細かく考えるとキリがない
今回お話した2点以外にも、細かく見てしまえば『矛盾』と思われる部分は見付かったりします。
ハッキリ言って、そんな風に見たらキリがないし、面白みがなくなります。(笑)
ぶっちゃけディレクターズカット版のエンディングでさえも、指摘部分はあります。
エヴァンのの能力は父親からの遺伝で、父親も同じ能力を持っていた事が作中でも示されていたはず。
そうなると、エヴァンが生まれなかったって未来でさえ、
父親の力で変えられてしまう可能性もありますからね。
まぁそこまで考えちゃうと、ホントキリがない訳です。(笑)
【バタフライ・エフェクト】はやっぱり、フラットな気持ちで見れば、
すごく作り込まれたストーリーで、エヴァンの『愛の力』みたいな部分も感じられる、
切なくていい映画です。
もし見てないのであれば、まずは1回見てみる事をおススメします!
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